令和の葬送儀礼
「平成」という元号が31年続きました。

日本にとって「平成」という時代はどんな時代だったでしょうか?
テレビなどでもよく取り上げられていますが、人それぞれ答えがあると思います。

「平成」は安定した低成長の時代?

「昭和」は大戦を経験し、奇跡的な復興と驚異的な経済成長を成し遂げた時代だったのに対して、「安定した低成長の時代」「エレクトロニクスでイニシアティブを失った時代」だったようにも思います。

若い世代にはピンとこないかもしれませんが、昭和の時代には、日本を代表する家電の製造業は世界の市場を席巻していました。
そして、技術力の高さを世界に示し続けていました。

ガラパゴスによる盛者必衰のことわりとは?

失速の原因のひとつに、日本のガラパゴス化があげられているのは周知のとおり。
日本は世界の潮目が変わるタイミングで国内市場主義からの脱却ができませんでした。その影響が今日まで及んでいると言われています。

例えば、日本製のパソコンは付加価値をつけて相応の価格設定をして販売していましたが、世界を目に向けると、利用者の大半はパソコンとしての機能が備わっていればそれで充分という意見が大多数でした。
世界市場では機能満載で20万円の日本製パソコンでなく、10万円の普通のパソコンが求められているわけです。

こんな話もありました。アメリカでiPhone(アイフォン)が発売されて、日本の某メーカーがiPhone(アイフォン)を分解して中身を調べたところ、すべて既存の機能の延長で、新しい機能はひとつもなく「普通のケータイに過ぎない」と軽視したところ、またたく間に世界を席巻して、日本製に取って代わってしまいましたというエピソードも。

「盛者必衰のことわりをあらわす」と平家物語に書かれていますが、おごれるものは久しからずという教えが現代の家電製品市場で起こってしまったのかもしれません。

ガラパゴスが経済成長時には有利にはたらき、低成長時には真逆に働いてしまいました。

「令和」の葬送儀礼、供養はどうなる?

「令和」の家電・エレクトロニクス業界はどうなるのでしょうか。
「昭和」のSONYウォークマンのような世界を揺るがす商品が登場するのでしょうか。
そして「メイドインジャパン」の復権は叶うのでしょうか。

葬儀業界では、戦後大きな変革がありました。火葬率が急上昇し、野辺送りが減少し、祭壇が葬儀のメインに据えられ、葬儀社は葬具貸出業からサービス業へと変貌を遂げたのが「昭和」だとしたら、「平成」は低価格化、個人化、個性化の波が押し寄せ、葬儀や納骨方法が多様化しました。

「終活」「家族葬」「直葬(ちょくそう)」「墓じまい」といった新語も誕生しました。

業界としてもサービスからホスピタリティへと意識の高まりが見られます。

フューネラルビジネスフェア、エンディング産業展、といった業界向けのイベントや、終活フェアなど一般向けのイベントも広く開催されています。

近年、「葬儀不要」「お墓はいらない」など葬儀やお墓に対する不要論は世間で注目を集めていますが、「大切な人を弔う、供養する」という心が消えてしまうことは考えられません。
時代とともに、弔いの文化は変化することは当然の流れです。

「令和」の時代は、次世代へ葬送文化を伝えていくために、伝統や慣習と、新しい考え方をいかに融合していくかが大きな課題となるでしょう。