そもそも寒中とは「小寒」から「大寒」にかけての時期のこと

寒中とは、正確には二十四節気のうち「小寒」から「大寒」にかけてをあらわします。

寒中見舞い
二十四節気とは、太陰暦の日付と季節を一致させるために考案された太陰太陽暦のひとつです。
今でも立春、春分、秋分、夏至、冬至などは比較的なじみのある言葉なのではないでしょうか。
中国で考案されてものなので、日本の気候に当てはまるものではないのですが、季節の節目を示す言葉としてしっくりとくる漢字が当てられているので、次世代に伝えたい言葉ですね。

よく「本日から寒の入りです」など、ニュースで紹介されることがありますが、それは「小寒」に入ったことを意味します。
冬至に比べて少し日は長くなったけれど、寒さはこれからが本番で、池や川が氷やすくなる時期になります。

「大寒」は一年で最も寒さが厳しい時期。

しかし、この寒さを乗り越えれば次は「立春」が待っています。春はもうすぐそこまで来ています。

2019年の寒の入りは1月6日、立春は2月4日です。

寒中見舞いは松の内が明けてから立春までの間に送る

寒中見舞いは、松の内が明けてから立春までの間に送ります。
松の内とは正月飾りをする間という意味で、一般には1月7日、もしくは1月15日という地域もあります。

昔は「松の内」は小正月が終わる1月15日までとされ、鏡開きも1月20日に行われていたのですが、江戸時代に江戸を中心に1月7日になっていきます。
地域によって松の内が違うのはなぜでしょうか?

その理由のひとつは、江戸の火事と関係するとか。

有名な明暦の大火(1657年)は1月18日に起こりましたが、木造建築が密集する江戸の町は、3日間燃え続けました。おろしたばかりの松飾りを置いてあった家も多いでしょう。
それが火事に直接影響があったかどうかはわかりませんが、乾燥して燃えやすくあった門松や松飾は早めに片付けるようにするため、1月15日から1月7日にしたという説があります。

もう一つは、三代将軍徳川家光の命日説です。

家光は慶安4年(1651年)4月20日に亡くなっていますが、月命日が20日になりますので、それを避けて逆算した結果、1月7日までを松の内とし、1月11日が鏡開きの日となったといわれています。

「1月7日を飾り納めとする」という幕府の御触れが出たのが1662年で、真意はわかりませんが、幕府の影響力の強い江戸周辺は1月7日までを松の内とし、関西や、地域によっては昔とかわらず1月15日のままで、現代まで続いているところも多いようです。

そういえば以前、友人と正月飾りの話を何人かでしていたら、
「我が家の方(関西)では15日に松飾をおろして、どんど焼で焚き上げるのが慣例。東京の人はなんでもスピーディーね。」
「そういえば、我が家の田舎(東北)でもそうかも。」
とそれぞれ友人たちが話していたのを思い出しました。

このような理由から、寒中見舞いを送る時期は地域によって異なります。2019年の寒中見舞いを送る時期は、1月8日(もしくは1月16日)~2月3日までの間になります。

寒中見舞いを送るケース

寒中見舞いを送るのは、次のようなケースの時に出します。

  • 喪中の方へのご挨拶として
  • 喪中と知らずに年賀状を出してしまった場合のお詫び
  • 年賀状をいただいた方に対して喪中欠礼をお知らせする
  • 故人宛の年賀状に対する返礼

寒中見舞いはがきは、余った年賀状を使用せず、郵便はがきか私製はがきに書いて出します。
はがきの場合、フォーマルな手紙で使用する「拝啓」などの頭語や「敬具」などの「結語」は不要です。

喪中時の寒中見舞いについて

寒中見舞いは、暑中見舞いと同じ季節の挨拶ですから、文体や書き方に決まり事はありません。
しかし、喪中の相手に対して送る場合は、文体やフォントなど、落ち着いたデザインでまとめたほうが無難でしょう。

白黒でなくてもかまいませんが、派手になりすぎないようにまとめます。
写真やイラストを入れても大丈夫ですが、初詣や日の出など正月をイメージする写真、千支など年賀状の定番である絵は使用しません。

「冬」や「早春」を連想させる花、草木、風景などを入れることは可能です。
相手との関係によっては、愛犬、愛猫、家族の写真を入れても大丈夫です。