近年、母の日が近くなると「母の日参り」のCMが流れるようになりました。
「昔はそんな習慣あったかな?」と思う人もいるでしょう。
結論からいえば、某企業が商品を売るためのPRとして仕掛けたもので、昔から定番の過ごし方というわけではありません。
ではなぜ、故人を弔うことと母の日が結びつけられたのでしょうか。

亡き母の追悼記念式から国民の祝日へ

母に感謝する日を設けている国は、日本だけではなく他の国にもあります。
日本が5月の第2日曜日を母の日としたのには諸説ありますが、どうやらアメリカの影響があるようです。

今から100年前のことです。アメリカのフィラデルフィアにアンナという女性がいました。アンナの母は1905年5月に亡くなってしまったのですが、その2年後、母の命日にあたる日に追悼記念式を開き、故人が好きだった白いカーネーションを参列者ひとりひとりに手渡しました。これが5月の第2日曜日だったそうです。

母の日

やがて、アンナは自分の母だけでなく、すべての母親に対して感謝する記念日をつくりたいと、1908年から「母の日」を祝う会がアンドリュー・メソジスト教会で開かれるようになり、支援者とともに祝日にすることを提唱します。以来、この教会は母の日の誕生の地の総本山ともいわれるようになりました。

そしてついに、1914年にウィルソン大統領の提唱でアメリカの議会を通過、5月の第2日曜日が母の日として国民の祝日となりました。

平和を願う母を思い…

母の日

アンナの母が注目されるようになったのには、訳がありました。
アンナの母、アン・ジャービスは、1858年に「母の日仕事クラブ」を結成し、募金活動をしたり公衆衛生のための活動をしていたそうです。
南北戦争がはじまると、「母の日仕事クラブ」は戦争で傷ついた南北双方の兵士の看病をするのですが、戦争が終盤になると今度は「母の友情の日」という企画を提唱。南北双方の兵士や地域の人を招いて交流を持つイベントを開催し、大成功をおさめました。

このような社会的貢献があったからこそ、アン・ジャービスの追悼記念式は注目を浴び、たくさんの人が集まったのでしょう。

白いカーネーションと母の日の関係は

母の日とカーネーションの関係については、アン・ジャービス本人が生前に好んだ花だからといわれていますが、それだけではなさそうです。

カーネーションは十字架に掛けられたキリストを見送った聖母マリアが流した涙の跡に咲いた花だという逸話があり、それ以降、カーネーションは母と子の関係を象徴する意味を持つ花となりました。また、色にも意味があるそうで、白いカーネーションは十字架にかけられる前のイエスとマリアをあらわし、赤いカーネーションは復活したキリストを象徴するといわれています。つまり、白いカーネーションは母性愛を意味しているのです。

ですからアンナが追悼記念式でカーネーションを用意したのも、単なる思い付きというより意味を知って配った可能性が高いですね。

白のカーネーション

ちなみに、白いカーネーションは日本でも葬儀でもよく登場します。キリスト教式(※注)や無宗教式で行われる献花では、白いカーネーションが使用されることが多いようです。

※注:日本のキリスト教式献花は、欧米と異なる独自の方法で行われているものです。

母の日にはぜひお墓参りを

アンナが母の日を提唱した頃から比べると、現在の母の日はカーネーションが高値で取引されたり、母の日ギフト商戦が白熱するなど、商業的なイベント色が強くなってしまいましたが、それでも母への敬意や感謝を形にする日として特別な意味がある日に違いはありません。

母の日には、ぜひ亡き母を思って仏壇を整え、お墓参りをしてみてはいかがでしょうか。お花とお香、故人が好きだった供物はは最高のプレゼントです。心を込めて選ぶその過程が、故人と向き合う大切な時間となることでしょう。

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