4月中旬、前東京都知事である石原慎太郎氏(享年89歳)の海洋散骨の様子が報じられました。
FNNプライムオンラインによると、散骨式は弟の裕次郎さんを記念して建てられた通称「裕次郎灯台」の近くで行われたとか。
石原さんの4人の息子さんたちや、名誉会長を務めていた地元のヨットクラブのメンバーが海上で散骨し、花を手向けたそうです。
そもそも海洋散骨とは、故人の遺骨を海に撒く葬送方法。散骨に関する法律はなく、これまで「遺骨は粉骨にする」「海岸から一定の距離以上離れた場所でまく」「近隣の利益や宗教的感情に配慮する」「自然環境に悪影響を及ぼす副葬品はまかない」という業界ルールのもと行われていましたが、散骨が新たな葬送の形として広まってきたことをうけて、厚生労働省により、令和2年度に散骨に関するガイドラインがまとめられています。
実は海洋散骨の是非が問われたのは石原裕次郎さんの時から。1987年に石原裕次郎さんが亡くなったとき、遺骨の一部を湘南の海に撒きたいと慎太郎さんが希望されていましたが、その時は周囲の反対で実現できなかったというエピソードがあります。(後に散骨することができたそうです)。
散骨が葬送方法として認知されるようになった背景には、「葬送の自由をすすめる会」の活動が大きく影響していると感じています。1991年10月、神奈川県の相模灘沖で葬送の自由をすすめる会が行った第1回の自然葬(同会では海洋散骨を「自然葬」と名付けた)を機に、当時の法務省と厚生省の担当者から「禁ずる規定はない」との非公式ながらコメントが出され、少しずつ散骨に対する風当りが緩和してきます。
海洋散骨の件数は、業界関連団体や散骨事業者などの意見をまとめると、およそ年間で1万件弱といったところでしょうか。年間死亡者数の増加に対して、大きく伸びているわけではありませんが、葬送方法としての市民権は得ていると思います。
賛否はありますが、海洋散骨が行われた石原慎太郎さんは、リーダーシップで耳目を集めた一人なのではないでしょうか。
都政においては、ディーゼル車排ガス規制、臨海副都心開発、首都銀行東京開設、東京マラソン設立、尖閣諸島、震災支援、東京オリンピック誘致などが挙げられます。
東京からカラスがいなくなった
個人的にはカラス駆除も忘れてはいけない功績だと思います。
東京都が毎年12月~1月にかけて都内40カ所で行っている調査では、カラスの数は減少傾向にあります。最も多かったのは2001年度で3万6400羽ほどが確認されています。東京都では、石原慎太郎知事(当時)の号令で、「カラス対策プロジェクトチーム」を発足し、餌となるゴミの収集時間帯を変えたり、ワナによる駆除を開始、その効果が徐々にあらわれ、20年で3分の1以下になっています。
ひと昔前の東京の繁華街はカラスの巣窟で、早朝の渋谷はカラスが怖くて歩けませんでしたし、ごみ袋はほとんどカラスにひっくり返される無法状態でもありました。
それがほとんどいなくなり、クリーンな街を保てるようになりました。
東京の資産をフル活用した東京マラソン
(出典元:東京マラソン財団)
東京オリンピックのプロローグとして開催した「東京マラソン」も石原慎太郎氏の主導によるもの。既存のパリマラソンなどからの着想ですが、単なるマラソンではなく、エンターテイメントの要素を盛り込み、東京の観光名所を走るコースは誰でも走ってみたい衝動に駆られるほど魅力的な世界の主要なマラソン大会のひとつとなりました。
もちろん東京都の財政にプラスになりますし、東京に多くの人が集まることによって国内からのインバウンドビジネスに大いに貢献します。
さらに、運営にはボランティアを募集し、ここでも東京の人的資産をフル活用しています。
毎回驚かされるのは、マラソンが終了した後、ゴミひとつないきれいな街に戻ることです。「クリーンな国」と外国人から評価されるのも納得です。
「もう一度東京でオリンピックを見たい」
(出典元:東京都制作企画局)
1964年の東京オリンピックは、高度経済成長下で戦後からの復活を世界にアピールする舞台でもあり、国民はこの上ない高揚感を享受しました。
当時の高揚感を知る石原都知事の強力な推進により誘致に臨みました。
2016年は叶いませんでしたが、その意志を継ぐ人たちによって2020年の開催を勝ち取りました。この時はもう都知事ではありませんでしたが、東京オリンピック開催に向けて大きな軌跡を遺してきたことは間違いないでしょう。
(岩田)
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